猟が身近にあった生活―猟師の娘からみた狩猟文化

狩猟文化

宮崎県北部の山間部で生まれ育った私には、狩猟はとても身近な文化。父も祖父も林業の傍ら、狩猟の時期は猟に出かけていました。

とにかく狩りが好き。今でも狩猟時期に実家へ帰ると、「昨日獲った猪は丸々肥えとった」とか「今日は犬が(猪に)切られた」など、狩りに特段興味もない私に延々と狩りの話をしてきます(笑)

猟師がいる家庭に育った人間であればおそらく同じような経験をしていると思いますが、30余年生きてきた私が経験した、猟にまつわるお話です。 狩猟を身近なものとして子ども時代を過ごした執筆者からみた狩猟文化の一端として読んでいただければ幸いです。

猟の相棒「猟犬」

狩りをする上で猟犬はなくてはならない存在。私の家にも猟犬が十数匹いました。小屋から脱走する犬を捕まえたり、犬のエサを運んだり、子犬と遊んだり…。

とても大事にしている犬が猪にやられたときなどは、子どもながらに涙したことを覚えています。また、猟がない時期は犬を軽トラに乗せて、父と山へ犬の運動に出かけることも。

舗装していないガタガタ道を軽トラで登っていき、そこで犬を降ろして、家までの道中を軽トラの後ろについて走らせるといった感じです。

たくさんの猟師が集まる時期

狩猟期間の11月15日から2月15日の間、私の家には多くの人が集まって来ていました。猟で仕留めた猪や鹿をさばき、獲物の収穫を山の神様に感謝するためです。

自宅に人がたくさん集まるのは子どもながらに嬉しい反面、やれ皿を持ってこいだの、まな板を持ってこいだのと、いろいろと手伝わされるのはとても嫌だった記憶があります(笑) いろりを囲んでその日の獲物を味わいながら、狩りの様子を語り合う猟師たち。

収穫があった日にはほぼ必ずと言っていいほど見られた光景です。今は高齢化も進んで狩りをする人も減り、大勢で集まって猟をする機会も少なくなりましたが、私が子どもの頃の狩猟時期は、とても賑わいがあって活気あふれる大好きな時間でした。

獲物の解体

猪や鹿の解体は子どもの頃からよく見ていました。 猪はお湯をかけて毛を剃り、さばき台の上に乗せていくつかの包丁を使い分けてさばいていました。

まだ死んだ猪の体には湯気が出るほどあたたかさが残っており、内蔵を取り出す瞬間は気持ち悪いと思いながらも、その体の作りや手つきを興味深く観察していたのを覚えています。

また、先の細い包丁や大きめのカッターナイフであばら骨を手際よく身から剥がしていく作業は、見ていて楽しかったです。

鹿の解体は、首の部分にロープを引っ掛けて吊るし、ナイフを使って皮を剥いでいきます。鹿の解体についてはなんとなく苦手で、独特な血の匂いと、皮を剥いだ後の鹿の異様な姿がその要因になってるのだと思います。

とっておきの料理

猪肉や鹿肉などはお店にも売られているため、食べたことがある方もいらっしゃると思いますが、猟師のいる家庭では肉以外の部位も食べます。猪の骨は大きな鍋で、骨から肉が離れるようになるまで炊きます。

骨にかぶりついてそこに付いた肉を一生懸命食べていた幼少期を今でも思い出します。鹿の骨は塩コショウをつけて炭火で焼いて食べていました。 それから、猪は内臓やあかふく(肺)も食べます。

内臓はきれいな水で何度も何度も洗って処理をしたものを味噌で煮込みます。家畜の豚などと違って、どんぐりなど木の実を食べている猪はアクがよく出るため、丁寧に処理する必要があるそうです。

肺は砂糖醤油で甘辛く炒め煮のような調理法で食べます。肺はふわふわ、気管はコリコリとした食感で、濃いめの味付けが一度食べたら忘れられない味と食感です。

「当たり前じゃない」ことは、じつは当たり前

猟師の家庭に育った私にとっては、おそらく普通の人には当たり前でないことが当たり前でした。殺生してそれを家でさばいて食べるという行為は一見残虐ですが、スーパーに売っている鳥や豚や鶏も、自分が見ていないだけで誰かが同じことをして私たちの口に入っているのです。

途中の過程を見ていないだけで、その行為は当たり前のこと。そんなことに気づかせてくれたのも、猟師の家庭に育ったからこそだと思っています。父や祖父、そして故郷に感謝です。

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